はじめての第二言語習得論講義 - 第4章
1960年代後半〜 1990年代中盤まで、人間の認知プロセスを重視する「認知的アプローチ (cognitive approach)」がSLAを主導した。
1. 第二言語習得研究の誕生
1.1 「誤り」と「間違い」は異なる
ピット・コーダー (Pit Corder) が、「学習者の誤りの重要性 (The significance of learners’ errors)」という論文を発表。 誤り(errors)と間違い(mistakes)を区別した。
- 間違い:思わず口から出た些細なもの
- 誤り:学習者の現在の能力に起因する発達途上のもの
例として学習者が「We played basketball yeasterday. We winned!」と言ったとする。正しくは’We won!’。ただし、 ‘played’ というように、学習者はすでに過去の時制については理解しているが、不規則変化の ‘won’ については聞いたことがないので知らない。よってこれは学習者が自身の第二言語知識に基づき「創造的に構築(creative construction)」した結果生まれた誤り。
1.2. ビルトイン・シラバス
ビルトイン・シラバス (built-in syllabus):学習者一人一人が生まれながらに持っている発達ルート。チョムスキーの普遍文法の第二言語版のようなもの。
ビルトイン・シラバスは、教師中心(teacher-centered)から学習者中心(lerner-centered)へのアプローチの転換をしている点で後の研究に大きな影響を与えた。
2. 第二言語はどのようなプロセスで習得されるのか - 認知的アプローチ
2.1. 認知能力と環境の相互作用
認知:私たちが何かを学習するときに働くさまざまな心理的プロセス。平たくいうと、「頭を使っている」と感じるときに働いているものが認知能力にあたる。
認知主義では、人間の認知能力とまわりの環境は本質的に分離している。ここでの周りの環境を、認知的アプローチでは「コンテクスト(context)」という言葉を使うことが多い。 例えば、日本で英語を学ぶEFLとフランスで英語を学ぶEFLではコンテクストは社会的・文化的影響を大きく受けるが、認知的アプローチではこれらの個別性は無視して抽象化する。
2.2. 2 つの認知的アプローチ
言語能力を他の能力とは異なるものとして考えるか、言語習得もその他の学習や技能習得と根本的に変わらないとする考え方で分けることがある。認知的アプローチのとして、後者が主流となった。
2.3. 情報処理アプローチ
情報処理アプローチ(information-processing approach) or コンピュータモデル(computational model):コンピュータの情報処理のように、インプット→計算処理→アウトプットという処理構造に、人間の認知活動を当てはめるアプローチ。 コンピュータは人間と異なり、周囲の環境、感情の起伏や体調などさまざまな要因によって安定的に処理を行うことはできないが、認知的アプローチでは認知能力とコンテクストは分離している。
情報処理アプローチを抽象化すると、「インプット→気づき(noticing)→理解→インテイク→統合→アウトプット」と表現できる。
例えば、She asked where the post office was. という間接疑問文がインプットであり、実際に回答したり話せるようになる場合、
- 気づき:「あれ?where was the post officeじゃないの?」
- 理解:このようなケースは倒置をしないのだ
- インテイク:理解した段階。
- 統合:自身の第二言語システムに加える
3. インプット-インタラクション-アウトプットモデル
2003年、デービッド・ブロック(David Block)が「IIO(Input-Interaction-Output)モデル」を提唱。コーダー後のSLA研究に影響を与えた理論。
3.1. クラッシェンの「インプット仮説」
スティーブン・クラッシェン(Shephen Krashen) の「インプット仮説(Input Hypothesis)」:学習者の現在のレベルを i とし、これをほんの少し上回る i+1 のインプットを受けることで第二言語は自然に習得されるという説。インプットレベルが i+2, i+3, … や i-1, i-2, … ではうまくいかない。 i+1 のちょうど良いレベルは「理解可能なインプット(comprehensible input)」と呼ばれている。 インプットのみで第二言語習得は可能だと主張したために多くの批判を受けている。 一方で、「聞くだけで英語が話せる教材」の裏付けとなっている仮説でもある。
3.2. ロングの「インタラクション仮説」
マイケル・ロング(Michael Long)の「インタラクション仮説(Interaction Hypothesis)」:クラッシェンのインプット仮説の発展系。双方向的な会話プロセスによって i+1 のインプットを得やすくなると主張。 会話の最初が学習者にとって難しいレベル( i+2 など)になっていたとしても、教師の会話調整により i+1 のインプットを与えることができる。レベル調整を行うための会話における作業を「意味交渉(negotiation for meaning)」といい、第二言語習得に不可欠な要素と考えた。 加えて、インタラクションが学習者にとってちょうど良いタイミング(just-in-time)で必要なインプットが得られる点も重要な機能のひとつ。
※ 1章 の第二言語学習者の学習の分類としては、インタラクションはアウトプット学習の一部となるが、ここでのインタラクションはあくまでもインプット処理に焦点を当てたもの。
3.3. スウェインの「アウトプット仮説」
メリル・スウェインの「アウトプット仮説(Output Hypothesis)」:第二言語習得にはインプットだけでは不十分で、アウトプットすることが不可欠とする説。
- noticing a hole: アウトプットすることで、自分の第二言の知識が十分でないことに気づくこと。
- pushed output: アウトプットするために、さまざまな文法的側面に注意を向けざるを得なくなる点。
4. 第二言語習得研究の新しい時代の幕開け
認知プロセスに焦点をあてることでSLAは発展してきたが、「ことばを使う」という行為が社会のなかで行われる人間の営みであることを考えると、情報処理アプローチやコンテクストを無視する認知的アプローチでの説明は不十分ではないかという声が1990年代中頃以降の研究者から聞かれるようになった。
4.1. ソーシャル・ターン
ソーシャル・ターン (the social turn):認知的アプローチは社会的側面=個人を取り巻く外的要素=環境=コンテクストが軽視されていたため、社会的側面を考慮した研究を行うべきだという潮流。
4.2. エコロジカルアプローチ
エコロジカルアプローチ (ecological approach):第二言語習得は環境とは切り離せないとする立場。 認知的アプローチは本質的に「人間中心」だが、エコロジカルアプローチでは人間も環境の一部だと考える。
4.3. エピステモロジカル・ダイバーシティ
エピステモロジカル・ダイバーシティ(epistemological diversity):ローデス・オルテガ(lourdes ortega)が提唱。第二言語習得の研究において、価値観や見解がさまざま存在したほうがSLA分野にとって、すなわち研究成果を生かす教師や学習者にとって有益であるとする考え方。
感想・所感
認知的アプローチの限界と可能性
認知的アプローチにおける認知能力とコンテクストの分離は、実験的研究や一般化において有用である一方で、実際の言語使用場面を考慮すると現実的でない側面がある。特に、日本でのEFLとフランスでのEFLでは、社会的・文化的な学習環境が根本的に異なる。
情報処理アプローチの時間概念についても興味深い課題がある。コンピュータモデルではインプットからアウトプットがほぼリアルタイムで処理されるが、人間の第二言語習得では、インプットから実際の産出まで数日から数年の時間差が生じることがある。
インタラクション仮説の実用的価値
インタラクション仮説における意味交渉の概念は、現代の言語学習プラットフォームにも応用されている可能性がある。LANGXのアイスブレイク機能で会話レベルを調整する仕組みは、まさに学習者に適したi+1レベルのインプットを提供するための意味交渉の実践例かもしれない。 興味深いのは、現在では「インタラクション」がアウトプット活動の一部として認識されることが多いが、インタラクション仮説は本来インプット仮説の発展系として提唱された点である。
エコロジカルアプローチへの発展的展望
エコロジカルアプローチは認知的アプローチよりも包括的な説明力を持つ可能性があるが、考慮すべき要因の急激な増加により研究対象が複雑化するという課題があるように思う。認知的アプローチによって蓄積された基礎的知見があるからこそ、より複雑で現実的なモデルへの発展が可能になったと考えられる。